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アルゼンチンタンゴが 日本により広がりますように!
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    プロフィール
    HN:
    GYU
    HP:
    性別:
    男性
    職業:
    タンゴダンサー
    趣味:
    アルゼンチンタンゴ
    自己紹介:
    アルゼンチンタンゴを日本に広めべく活動している。

    丑年にあやかり邁進中。


    Vamos a bailar de Tango!
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    ミロンガで踊る時に男性が注意する事は色々あるが

    まず最初は 自分の踊っている女性を守る事だ。

    ミロンガは危険だ。女性を守りながら踊る。

    いくら 素敵な踊りをしていても周りから色々なことで
    女性が蹴られたり、ぶつかったりしたらすべて台無し。

    特に込んでるミロンガでは危険地帯。

    そして女性のヒールや男性の踵は凶器である。


    そこでその女性を守るために
    私が実践してるのは女性をいつも外側に置いとく事。

    外側とはミロンガフロアに対して外側である。


    そこにいると、外側からぶつけられる心配はほぼ無い。
    気をつけるのは、椅子や見ている人にぶつけないようにする事。

    また後ろのステップを使うにも視野の左右が
    ロンダの前後なので 周りの状況を見れぶつかる心配少ないです。


    女性の皆さんも いつも周りには機敏でいてください。
    全身が感覚の固まり。ちょっとしたことがすべて感じられる。

    タンゴやると感覚がするどくなる。
    本能的で動物的だ。


    GYU





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    ブエノスアイレスに一年間滞在したときに、一ヶ月ほどメンドーサにいたことあった。
    きっかけは観光ビザが切れることで海外に出ないと行けないことと、
    年末にディスコで大きな火事になり、ブエノスアイレスのミロンガがほとんど中止になったこと。
    そのことを友人に話したらメンドーサに遊びにこないか?ということで 
    バスに揺られ10何時間南米大陸を横断した。


    メンドーサでは友人の紹介で、アサード食べたり、プールで泳いだり、ワインのボデーガを尋ねたり
    アンデスツアーに参加しアコンカグアを見たり、そして ヘラード屋で毎日一個アイスクリームを食べて、街の中心にある公園でゆっくり過ごした。
    もちろんミロンガにも行った。しかし毎日は無く、水曜日、金曜日と日曜日あったと思う。

    自分が滞在したところはバックパッカーが止まるところ。
    みな それぞれの思いで滞在していた。
    アンデスの麓で南米最高峰アコンカグアにチャレンジする日本人にも出会った。

    メンドーサは、シエスタの街。午後なるとチェーン店以外はみなお休み。
    街は静かだ。

    最高の楽しみはプールだ。一日中泳いでいた時もあった。空気が乾いていて水がとても気持ちいい。


    そのメンドーサに滞在中、友人からチリのバルパライソに行かないか?と誘われる。
    バルパライソでタンゴのフェステバルがありそのコンペティションにでないかと。

    二つ返事でOKだし、その後は毎日彼女のマンションの屋上で練習した。
    チリに行く当日は、嵐でバスが出るかわからなかった。
    寒いと思ったらアンデスは雪が降っているらしい。いき道は道ばたには雪の後。

    途中国境超えで自分の観光ビザが切れていてた。
    捕まるかと ビクビクしていだが罰金50ペソでチリに出れた。


     アンデスの下り坂は日光七曲がり顔負けの右に左に大蛇行。

    無事にバルパライソに到着。滞在は4日間くらいか5日だった。
    バルパライソは坂の街だ。丘陵な大地が太平洋を望む。家はマッチ箱みたいに立っている。
    移動は至る所にある小さなロープウェーで坂を行ったり来たり。

    早速 バルパライソ到着後魚介類の市場に行き、海鮮ドン食べたら見事にあたった。
    1日くらい宿で寝てたね。 今度自分が良くなったら、相手が体調不良。
    水があたったらしい。その中でも地元のミロンガに行った。
    チリのバルパライソのミロンガはブエノスアイレスより古典な感じがした。
    かかる曲は聴いたことも無い古い曲ばかりだ。
    この曲は誰の演奏かと聞くと「Francisco Lomuto」と初老の親父が教えてくれた。

    海辺の街でもあるバルパライソは泳げる。泳ぎにも出た。ビーチまで電車で行った。
    夏休みでビーチは人で溢れている。メンドーサの友人も何人か来ていて一緒に海を楽しんだ。
    が太平洋はとても冷たかった。そして波が荒くいきなり深くなる。同じ太平洋でも遠浅で静かな
    自分が慣れ親しんだ伊豆の海とは大違いだった。

    回顧録が長くなったが、そんな中コンペティションに参加した。
    予選は今思えば着いた次の日だったかな。日本とアルヘンティーナの組み合わせは
    とても熱烈に歓迎された。異国の大地で、それも異国の文化をその本場の人と踊る。

    拍手をもらうと心地よかった。
    予選準決勝と無事通過し、決勝のときだ。
    決勝はバルパライソの大きなホールで行われた。
    たぶん、ダリエンソかいあたディサルリの40年代かわすれしまった。


    でもあの瞬間は今でも覚えている。


    彼女がアドルノを入れた瞬間だ。




    その瞬間、何があったかというと


    彼女以外のことを考えていた。それはどう格好よく踊るかという
    恥ずかしいことだ。



    それを考えた瞬間、
    彼女がアドルノ入れた。

    「ハぁっ」と

    その瞬間我に帰った。

    自分は恥ずかしさでいっぱいだった。



    女性は色々とアドルノ(飾り)をする。



    最近自分は タンゴはアドルノの踊りだと自分は思う。

    アドルノと言う間の世界。二人の間、音楽との間、ミロンガという社会との間




    今振り返ってもあの踊りは最高だったかもしれない。


    順番は2番だった。1番だと賞金がもらえた。
    そうすると旅費が浮いた。
    そして次の日まで滞在しようと二人で決めていた。

    なぜなら、彼女は働かなければならないからだ。
    観光客と自分とは違っていた。


    間が悪いのはこの性分だったからだろう。


    女性の皆さんに
    男性の為にアドルノを

    男性の皆さん、
    女性の為に

    踊りましょう。









    タンゴはなんだろう!?

    タンゴを観る私にとって楽しみのは場の空気だ。

    偉大なダンサーは入って来た瞬間場所の空気が変わる。

    踊りの中にもだ。

    その永遠にもうこない3分間の音楽の中で 鮮明な一瞬が

    空気が止まる一瞬が

    写真より鮮明な一瞬が脳裏にこびり付く。


    その眼でとらえよ。
    その皮膚でとらえよ。

    その感覚で得た物は 自分固有のものだ。
    ブエノスアイレスに2004年から2005年の春まで
    ちょうど一年住んでいました。

    その年の世界選手権にちょうどその時にブエノスに住んでいた、
    Hちゃんと出場しました。

    出会いはある日有名なダンサーが空いてるミロンガに彼女を連れて
    現れた。そんなにミロンガにいなかったが地元の友達が
    「彼女は日本人だよ」
    と教えてくれた。タンゴは踊ってなかったがその日はサルサがかかり
    そのとき彼女が踊った。それは上手かったね。

    東京では見かけないからたぶん大阪や名古屋のほうの人かなと勝手に考えていたらあとで知ったのですが、彼女はアメリカ在住の日本人でした。それもサルサのプロのダンサーだった。

    明くる日 別のみロンガで彼女と遭遇、タンゴを何曲か踊った。
    最初アブラッソが合わなかったが、次第に合うと彼女の脚はとても柔らかかった。

    彼女をコンペティションに誘った。
    返事は翌週にOKをもらい、それからほぼ毎日練習することに。

    このときほどカミナンドを練習したことはなかっただろう。
    来る日も来る日もだ。約2ヶ月弱
    スタジオでミロンガで外で公園で通路で歩く歩く。
    一人で二人で、

    彼女は厳しかった。


    そして 世界選手権の日に予選は難なく通過し、そして準決勝へ
    決勝へいく自信があった。

    その準決勝1日目。サロンは3曲を踊る。
    大体10組くらいでロンダする。

    そして一曲目が掛かった。知らない音楽だった。

    そして面食らった僕は
    まったくって言っていいほど、音が聞こえなかった。
    二曲目も知らない、いやそれは正確ではない。もう覚えてない。
    3曲目は楽団は覚えているが曲は覚えてない。楽団は EL ARRANQUEだった。
    そのとき踊っている僕は会場のと大会の熱気による汗ではない、
    べっとりした汗を体中にかいていた。

    あんな体験はあれ以来ない。

    その日の夜、LA VIRUTAの練習会にいくがそこでも
    その感覚が残っていて踊るのがいやだった。

    そのな私を次の日の朝、叱り飛ばした。

    「いい加減にして」
    「あなたは誰と踊ってる?私は誰と踊ってるですか?」

    それは彼女の悲痛な叫びだ。

    わつぃは自分が上手くなることを錯覚し
    驕り高ぶって踊っていたのだ。
    一人で踊っていたのだ。


    「思いっきり踊ろう」

    何かが吹っ切れた。
    変なこだわりがなくなった。

    タンゴがこんなに楽しいと思ったことがないくらいに楽しかった。
    3曲はあっと間だった。


    そして僕らは世界選手権のサロン部門で決勝まで進めた。

    彼女のお陰だ。




    大会が終わり、採点表が見れるということなので
    サンマルティン劇場まで行き採点を見る。


    1日目と2日目では30点満点中約10点の差があった。

    もちろん2日目がよかったのだ。



    そんな彼女と大会後に 振り付けを作ることになった。


    それが 「Patetico」だ。

    その曲は準決勝2日目、3曲目に流れた。









    ブエノスでの話。

    向こうに遊学中に世界中の女性とも知り合い、儚い恋にも落ちた。
    丁度寒くなるちょっと前に、フランスのソフィーという女性と仲良くなった。
    踊りがとても合ったんだ。とても楽しかった。しかしそんな時間はながくは続かず、
    ある日二人の踊りが淡白になり全然楽しい物ではなくなった。

    電話をかけ聞いてみたら

    「あなたと私は踊りのスタイルが違うの。」
    あっさりした物だった。

    次の日、別の男とミロンガで仲良くしていた。



    ショックだった。胸の中に重く黒々した液体が湧き出てきた。
    その上、頭を重いハンマーで殴られたように身体が鉛みたいに動かなくなった。

    2〜3日後、
    その日の夜もまだ引きずってミロンガで隅の壁際で落ち込んでいたら、
    彼女の友人が僕をわざわざ踊りに誘いに来てくれた。

    そして一曲終わった後

    「あなたの踊りは最高だわ」と微笑みながら耳元で囁き

    もう一曲踊ってくれた。

    救われた気がした。

    彼女はガビートも笑顔で袖にできる女で
    ミロンガやレッスンに彼女がいると場が和んだりした。

    その時その彼女がつき合ってた
    男からも憧れるような男とつき合っていた。

    そいつにある日

    「GYU,この楽団が最高だ。」

    と教えてもらった曲が
    Lucio Demareだ。






    GYU

    タンゴの音楽で最初に覚えた名前が
    「バイアブランカ」

    だ。これはエピソードが

    それはアルゼンチンに行ったとき、
    お上りさんで調子に乗ってあるタンゲリアの
    オーディションを受けた。

    スペイン語もロクにしゃべれず、
    辞書片手に電話で「オーディションはいつだ?」
    と尋ねた。しかし全く最初は反応なし。色々電話を回されやっと通じたらしく、
    電話口の人が
    「明日夜8時に来なさい。ジャケットを来て来てくれ。」
    G「他に必要な物は?」
    「何もありません。」

    変なやり取りだった。

    翌日8時に会場に行くと、
    「昨日の予約の方ね」と


    要は客と勘違いされた。
    いや、こちらの意志が全く通じなかった。

    改めて身振り手振りで、通じてその日時を知った。

    それは二日後の二時からだった。

    その日、会場ではもうアホな日本人が来ることはスタッフ全員が知っていて
    とても丁重に扱われた。

    その時に担当者が
    「君は何を踊る?」
    と聞いて来た。

    それまでないを踊るかなんて考えてもいなかったのだ。

    とっさに出て来た言葉が

    「バイアブランカ」

    だった。

    「クンパルシータ」や「エルチョクロ」「レクエルド」なども当時してっいたと思うが
    出てこなかった。この曲だけだった。


    踊る順番の時
    ビデオ撮影しているので最初に自分の番号を言うだが
    これも担当者の人が

    「(73)セテンタ イ トレス」

    と大きく口をあけてビデオカメラの横で言ってくれた。

    このときに 60と70の区別がなかったから助かったことはいうまでもない。

    60はセセンタ
    70がセテンタ

    緊張のうちに終わった。踊ってくれた
    (そこにはカップルじゃない人用の人が男女一人ずついた。)
    女性の胸のテンションは忘れられません。


    こんな馬鹿な話だがうれしかったことがあった。


    バイアブランカを踊り終わった時に
    そこのディレクターが握手にステージまで来てくれたことだ。

    ディレクターが握手をしに来てくれた人は
    その日のオーディションで100組以上来てなかで10数組だけだった。

    アルゼンチンに来て良かったと思った瞬間だった。
    結果は知るまでもない。

    その時一緒に受けてたのが、昨年日本オープンタンゴで優勝したファクンドだった。
    彼が優勝したことは嬉しい。


    もう一つこの曲を踊り終わったら
    あるアルヘンテーノが
    「あの曲の題名は?」
    と聞いて来た。

    こう答えた

    「カルロス ディサルリの バイアブランカだ。」









    ゆっくり歩く



    音楽をゆっくり取る。






    ドンーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーードン







    リズムとリズムの間が広がれば広がるほど

    その間に様々な音楽がつくられる。

    ゆっくり取るには ゆっくり動く。


    ゆっくり動くには体全体で動かないと
    途中で止まってしまう。



    ステップも音楽だが、


    ステップとステップの間がもっとも刺激的で官能的な音楽の場所だ。



    GYU





    ちょっと 戻って

    一人で歩く編

    肩の後ろが前に落ちる。



    人間は四足歩行の動物が二足歩行になっただ。



    馬を観ても、プーマを観ても、牛を観ても  後ろより前のほうが筋肉隆々だ


    前は人間で言う上半身。



    気分はオラウータン。


    二足歩行だが四足歩行と創造してみよう。

    上体が前に行くと足は自然に動きます。



    自然の流れが大切だね。





    GYU

    二人で歩こう。

    男性は女性を大切な宝物のように。

    男性

    アブラッソは女性の肩あたりにおき、掌が下に向かないようにしてください。
    息を吐いて、相手の柔らかさを十分感じてから始めて見ましょう
    お腹を後ろにして上半身から相手を運んでください。

    脚からでると相手の足ふんだりけったりします。


    女性

    アブラッソは相手の肩におきます。肩に力が入ったり、つかまったりしないように気をつけましょう。
    行きを吐き相手を感じてお腹を後ろに、そして 背中は動いた瞬間は前に来るような感じやってみましょう。男性のエネルギーを返すように。

    注意事項は足を先に出さない、背中を後ろに落とさない、です。



    テンポはゆっくりとゆっくりと始めてください。
    音楽、相手、空間、床などあらゆる物を感じましょう。

    ポイントは慌てないでゆっくりと

    呼吸をゆっくりしてください。

    GYU


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