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アルゼンチンタンゴが 日本により広がりますように!
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    HN:
    GYU
    HP:
    性別:
    男性
    職業:
    タンゴダンサー
    趣味:
    アルゼンチンタンゴ
    自己紹介:
    アルゼンチンタンゴを日本に広めべく活動している。

    丑年にあやかり邁進中。


    Vamos a bailar de Tango!
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    ブエノスアイレスに2004年から2005年の春まで
    ちょうど一年住んでいました。

    その年の世界選手権にちょうどその時にブエノスに住んでいた、
    Hちゃんと出場しました。

    出会いはある日有名なダンサーが空いてるミロンガに彼女を連れて
    現れた。そんなにミロンガにいなかったが地元の友達が
    「彼女は日本人だよ」
    と教えてくれた。タンゴは踊ってなかったがその日はサルサがかかり
    そのとき彼女が踊った。それは上手かったね。

    東京では見かけないからたぶん大阪や名古屋のほうの人かなと勝手に考えていたらあとで知ったのですが、彼女はアメリカ在住の日本人でした。それもサルサのプロのダンサーだった。

    明くる日 別のみロンガで彼女と遭遇、タンゴを何曲か踊った。
    最初アブラッソが合わなかったが、次第に合うと彼女の脚はとても柔らかかった。

    彼女をコンペティションに誘った。
    返事は翌週にOKをもらい、それからほぼ毎日練習することに。

    このときほどカミナンドを練習したことはなかっただろう。
    来る日も来る日もだ。約2ヶ月弱
    スタジオでミロンガで外で公園で通路で歩く歩く。
    一人で二人で、

    彼女は厳しかった。


    そして 世界選手権の日に予選は難なく通過し、そして準決勝へ
    決勝へいく自信があった。

    その準決勝1日目。サロンは3曲を踊る。
    大体10組くらいでロンダする。

    そして一曲目が掛かった。知らない音楽だった。

    そして面食らった僕は
    まったくって言っていいほど、音が聞こえなかった。
    二曲目も知らない、いやそれは正確ではない。もう覚えてない。
    3曲目は楽団は覚えているが曲は覚えてない。楽団は EL ARRANQUEだった。
    そのとき踊っている僕は会場のと大会の熱気による汗ではない、
    べっとりした汗を体中にかいていた。

    あんな体験はあれ以来ない。

    その日の夜、LA VIRUTAの練習会にいくがそこでも
    その感覚が残っていて踊るのがいやだった。

    そのな私を次の日の朝、叱り飛ばした。

    「いい加減にして」
    「あなたは誰と踊ってる?私は誰と踊ってるですか?」

    それは彼女の悲痛な叫びだ。

    わつぃは自分が上手くなることを錯覚し
    驕り高ぶって踊っていたのだ。
    一人で踊っていたのだ。


    「思いっきり踊ろう」

    何かが吹っ切れた。
    変なこだわりがなくなった。

    タンゴがこんなに楽しいと思ったことがないくらいに楽しかった。
    3曲はあっと間だった。


    そして僕らは世界選手権のサロン部門で決勝まで進めた。

    彼女のお陰だ。




    大会が終わり、採点表が見れるということなので
    サンマルティン劇場まで行き採点を見る。


    1日目と2日目では30点満点中約10点の差があった。

    もちろん2日目がよかったのだ。



    そんな彼女と大会後に 振り付けを作ることになった。


    それが 「Patetico」だ。

    その曲は準決勝2日目、3曲目に流れた。









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